用語解説コーナー 血が滾舞台用語辞典



とちる(とちる)
2012.11.01 OA


一般にも使われる『とちる』。失敗する事を意味するこの単語も、元々は浄瑠璃や歌舞伎の世界で古くから用いられてきた舞台用語です。一般語と同じく、演技や段取り、登場退場のタイミングなどを間違えてしまう事を指します。

単に『とちる』『とちり(名詞形)』といった形でも使われますが、例えば本来の登場タイミングよりも遅れて出てしまう失敗は「出るきっかけをミスした」という事で『出トチ』、早く登場してしまう失敗は『早トチリ』などと言ったりもします。舞台製作の現場でもとても使用頻度の高い単語なんですね。いや、ホントは使わないで済むのが一番なんですけど。

さて、『とちる』の語源。実は今は使われていない古い言葉に『とちめく』という単語があります。「とち」とは、樹木の「栃の木(とちのき)」の実で、渋抜きして食用に用いられる「栃の実」のこと。この「栃の実」を米粉または麦粉と混ぜて作る「栃麺」という麺類がありまして(蕎麦が生まれる前はこの栃麺がメジャーだったようです。余談ですが、今よく食べられている日本の麺類は、そうめんがまず生まれ、それを元にうどんが、最後に蕎麦が生まれたそうです)、まぁ麺棒を使って生地を伸ばすわけなんですが、手早く伸ばさないと冷えて縮んですぐに固まってしまうそうなんです。だからのんびりできない、急いで作らなければならない。そういった栃麺を作る様子のせわしなさから、「慌てる」「うろたえる」といった様子を表す「とちめく」という言葉が生まれ、そこからさらに転じて現在の『とちる』『とちり』といった単語になっていったようです。

また、同系の語源として、十五世紀頃に使われていた「栃目」という単語も挙げられています。「騒がしくなる」「慌てふためく」という意味のこの単語も、「栃の実」が元。今でも丸く大きい目の事を「どんぐりまなこ」と言いますが、それと同様に(栃の木はどんぐり科の落葉樹)、慌てふためいて目を見開いているさまを指して「栃の実のような丸い大きな目になる=栃目」と言ったらしいですね。で、ここから「栃目⇒とちめく⇒とちる」と変化していったと。

また、劇場で一番見やすい席の事を『とちり』と呼ぶ事もあるそうです。なんでも昔の歌舞伎小屋では7、8、9列目が最も見やすい席と言われていて、当時、席の列を前から「いろはにほへとちりぬるを」で表していたため、7、8、9列目がちょうど「とちり」になっていた、と。「芝居が見やすい席=役者のとちりもよく見える席」で、列の名前が「とちり」。こいつぁいいやと見やすい席のことをそう呼ぶようになったとか。うまい事できてますね。


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