殺陣/立ち回り(たて/たちまわり)
2012.01.19 OA
「殺陣」も「立ち回り」も、乱闘・斬り合いなどのアクションシーンを表す言葉です。
両者はほとんど同じ意味で使われますが、「立ち回り」はかなり古くから舞台用語としてある言葉で、元々は舞や踊り以外の、芝居の動きすべてを指す言葉でした。
その後、狂言の世界で動きの激しい(合戦などがある)作品を「立ち廻り狂言」と呼ぶようになったことから、アクションシーンを「立ち回り」と呼ぶようになっていったそうです。
特に大勢が入り乱れての乱闘シーンなどは「大立ち回り」という呼び方もしますね。
一方殺陣の語源は、「陣立て」。戦争・合戦の用語で、軍勢の配置や編成を組む事を指す言葉です。これを略して「たて」と呼んでいた、ということ。
この「たて」という音に「殺陣」という漢字が当てられたのは、大正時代。当時、「新国劇」という有名な劇団がありました。この劇団は歌舞伎・新派と新劇の間の大衆演劇を目指し結成されたのですが、中でも熱狂的に受け入れられたのが、剣戟物。代表作である「月形半平太」や「国定忠治」などは後に映画化やテレビ化など様々な形でリメイクもされているので、皆さんもご存知なのではないでしょうか。
それまで歌舞伎などで様式美を追求し「美しく魅せる」という形で演じられていた剣術シーンが、この新国劇によってリアルで激しいものになり、それが現在の殺陣シーンの基本や大衆演劇の始祖となったとも言われています。
さて、この新国劇の座長であった沢田正二郎が1921年、演目を決めるに際して座付き作家の行友李風に冗談で「殺人」と言ったところ、穏やかでない言葉なので「陣」という字を当てることを提案されました。それがこの字の始まり。ただ、この時は「たて」とは読まず、そのまま「さつじん」と読んでいたそうです。
その後、1936年に上演された沢田の七回忌記念公演の時から同じ字で「たて」と読ませるようになったとか。単なる一劇団の考えた造語、当て字と言ってしまえばそれまでですが、それが一般化し定着するほどに影響力の大きな人気劇団だったという事でしょう。
(ちなみに、沢田の葬儀には当時の首相である田中義一も出席しています)
殺陣はあくまでも演技です。肝心なのはケガをしないこと、させないこと。それを大前提に、本当に斬っているように見せる技術を求められます。刃がついていない模造の物が多いとはいえ武器を使って戦う以上、安全への配慮を怠れば簡単にケガをし、最悪の場合には死亡事故に至る場合もあります。
(1989年公開の勝新太郎監督・主演の映画『座頭一』の撮影中、俳優が振り回した刀が殺陣師の首に刺さり死亡する事故が起きた事は有名です)
演じるに際して、なにかしらの武道を習得するとよいとも言われますが、殺陣は武道と違い「見栄え」を重視する面もあるため、習得した技術がそのまま殺陣の実力と比例するわけではありません。
例えば武術では出来るだけ攻撃の予備動作は小さく素早くするものですが、殺陣の場合はあえて予備動作を大きく見せる事もあります。
殺陣のために武道を習う場合、刀なら剣道より居合道、素手なら合気道が推奨される場合が多いようです。
殺陣の評価が高い俳優といえば、かつては三船敏郎や勝新太郎、千葉真一。高橋英樹は「止まっている物を斬らせたら日本一」と言わしめるほどの剣腕で、本人曰く「五万人は斬った」とか。
また、初代仮面ライダーを演じた藤岡弘は通称「現代の侍」。空手、柔道、居合道から手裏剣まで使いこなすそうです。
田村正和は今では古畑任三郎などの現代劇で知名度が高いですが、デビュー当時は多くの時代劇に出演し、独特の美しさを感じさせる華麗な太刀捌きで人気を博しました。なかでも市川雷蔵亡き後に主演を引き継いだ『眠狂四郎』では、原作者の柴田錬三郎をして「田村正和は最高の狂四郎役者」と絶賛せしめたそうですから相当なものですね。
現在世界的に有名という意味では、渡辺謙や真田広之。彼らはハリウッド映画にも進出しており、今後のさらなる活躍も期待されています。
また、逆に「日本一の斬られ役」として有名なのが、福本清三。通称、「五万回斬られた男」。
15歳で東映の大部屋俳優になり、20代後半頃から斬られ役専門に。1990年代中頃から、インターネットの時代劇関係のコミュニティや掲示板において「あの斬られ役は誰だ」と話題にされる事が多くなり、次第に「知る人ぞ知る斬られ役」としての地位を確立していきました。
「暴れん坊将軍」「銭形平次」「大岡越前」「水戸黄門」など、東映製作の超有名時代劇には必ずと言っていいほど出演しています。
そして定年直前の2002年、ハリウッド映画『ラストサムライ』に抜擢。英語が苦手だったのでセリフはほとんどないものの、最後の戦いで戦死するシーンは迫力満点。共演したトムクルーズからは「定年でやめるなんてもったいない、ぜひハリウッドにおいでよ」と声をかけられていたとか。
(現在は定年退職されましたが、東映に嘱託として籍を置き俳優業を続けていらっしゃいます)
彼の活躍と高い評価は、『殺陣は「斬る側」の努力、技術でのみ成立するものではなく、「斬られる側」の素晴らしい演技も必要不可欠なのだ』という事を証明したと言えるでしょう。