顔見世(かおみせ)
2015.11.19 OA
11月に入り、歌舞伎の世界では各劇場で大きな興行が行われています。それが「顔見世」。劇場、地域によって多少違いはありますが、だいたい10月から12月の間に大々的に行われるものです。市川海老蔵さんの長男、堀越勧玄くんが初お目見えしたのが11月1日に歌舞伎座で行われた顔見世大歌舞伎でしたから、そのニュースでも「顔見世」という単語を聞いた方はたくさんいらっしゃるでしょう。 ちなみに余談ですが勧玄くんは2歳8カ月。歌舞伎役者はデビューが早いものですけど、お父さんの海老蔵さんは5歳で初お目見えだったそうですから、それと比べてもかなり早いですね。
で、「顔見世」。まず、何故この時期なのか。歌舞伎が特に庶民のエンターテイメントの中心だった江戸時代、歌舞伎役者の契約というのは一年更新でした。今の野球選手のような形ですね。その契約が切れるのが10月、新しい契約が始まるのが11月だったわけです。それに合わせて、「ウチの劇場は今年一年間はこういう顔ぶれでいきますよ」と世の中に顔を見せる。それが11月に行われる顔見世興行だったんですね。 現在では歌舞伎役者が一年契約ってコトはありませんから、顔見世興行も本来の意味合いは失われてしまっていますが、この時期に「顔見世」と称して大規模な興行を行う風習は残っています。特に京都南座で12月に行われる顔見世興行は最も歴史が古いことで有名で、劇場正面には役者の名前が勘亭流で書かれた「まねき」と呼ばれる木の看板が掲げられ、京都の年末の風物詩となっているそうです。
「まねき」は「勘亭流」という独特の書体で書かれています。見たコトある人はすぐピンと来る独特の書体で、極太の線で隙間なくみっちりと書かれているコト、内側に向けて曲がるように書かれているコトなんかが特徴。これらは縁起を担ぐ意味合いがあるそうで、極太の線で隙間なく書くのは「お客さんが隙間なくいっぱいに入るように」、内側に向けて書くのは「外に出て行かずみんな中に入ってきてくれるように」というコトだそうです。
で、「まねき」に話を戻しますが、実は勘亭流と一口に言っても、細かくは劇場ごとに違うそうで。だから京都南座のまねきを書く書体は京都南座でしか使わない。したがって南座のまねきは誰にでも書けるものではない。こちら、今まで川勝さんという方が16年間一人で書いていらっしゃったそうです。そして昨年(2014年)からは、井上優さんにその担当が引き継がれました。特殊な墨を使っていて、雨ざらしになっていても文字が消えない。服についたら絶対取れないそうです。墨をする作業も一仕事で、野球のバットでするそうです。最後にはお浄めと艶出しを兼ねて清酒を少し入れて完成。それだけの手間暇をかけて用意した墨で、熟練の匠が書く「まねき」は顔見世興行を華やかに彩ってくれます。
京都南座では毎年11月25日前後の吉日にまねき看板が正面にあがるそうですから、これからの時期に京都に行かれる方はぜひ、南座の前を通ってみてください。そしてもし都合がつくなら、一度顔見世興行も御覧になってみてはいかがでしょうか。
今年の京都南座顔見世興行は11月30日から12月26日。11年ぶりの名跡復活となる四代目中村鴈治郎の襲名披露も兼ね、人間国宝の坂田藤十郎、片岡仁左衛門をはじめ東西の人気役者が勢ぞろいするそうです。